箱の中身はなんだろな

俳優の推しと俳優じゃない推しの話と、推しに向き合う自分の話。

推しを応援しているのか

前記事で推しに義務でお手紙を書かないという選択が出来た、と書いたんですが、別件で別の推しに手紙を書くことになり頭をひねっていました。

いずれ書こうと思ってたので内容はある程度決まっていても、いざ文章にするとまとめるのが大変。下書きが手書きなので、訂正まみれです(笑)


さて、今回のテーマは推しに向けてよく使われているであろう「応援してます!」という言葉。
私も手紙に書いたことがあります。

でも本当に私はそうなのかな?と最近思い直した話です。


推しが複数いる中で一番売れてる(多分)推しに関しては特に、応援とは違う感情だなと思いました。
推しがいる作品を買うし、現場には行くし、写真も買うけど、これは応援とはなんか違う。

私が勝手に好きなだけで推しのためとは特段思ってない。

最終的に好きでした行動が推しの仕事や懐に繋がるのは嬉しいものの、あくまで自分のための行動。
私が欲しいから、楽しいから対価を払うのであって、応援とは違うかなって。

オタクの母数が多いので、私が買おうが買うまいがある程度売れてはいるんですよね。食えないなんてことは全然なくて。
その小さなオタクの地味な積み重ねが大事だとはわかっていますが、「影響のない存在」であるという感覚の方が大きいことわけで。

そもそも応援とは一体どんなものなのか・・・と考え始めるともうわけわからなくなってきます。正解がない。

手紙を書くことも私のわがままだと思ってる部分があります。数多くいるオタクの中から私の話を聞いてくれなんて傲慢だなという考え方も自分の中にはあるわけです(でも書きたいから書く。矛盾)。

これからもきっとこの推しのことは「勝手に好き」なんだと思います。
応援してるというより、推しがやったことの中から好きなものをこっそり摂取して、オタクを続けていきたい。



さて、ここからは別の推しに対する応援の話。

最近「これは応援かも」と思ってやってることが、アンケートハガキ。
その推しは私の推しとしては売れていないというか、売れていなくはないというか、ライバルになるような人はたくさんいてどうなるかわからないわけで。

自分の一票がどのくらいの影響かわからないからこそ、後悔しないためにその一票をきちんと入れておきたい。

もちろんこれも「また推しの記事を読みたいから」という願望が大きいことは確かですが、「推しの活躍に繋がってほしい」という気持ちも持ち合わせて書いてるなと思ってます。感覚的。

結局はこれからも見ていたいから、自分のためにやってるのかなと思いつつ。
63円切手を買うのです。