箱の中身はなんだろな

推しの話と推しに向き合うオタクの話。

推しから離れゆく自分を見守る感覚

モチベが超下がっちゃってる推しがいる。

ファンクラブ更新するときは早くしようと張り切ってたのに、いざ新しい会報を前に「これ次の更新ないな」と思ってたりします。結局1割も読んでない。
推し事的にファンクラブならではの恩恵を受けなくても何とかなるし。

ただ次好きな活動をしたらどうなるかわからない。それはそう。


他の推しにも「それやっちゃうのか・・・」ってなって。
オタク全体からは好評のようなのでスタンスの問題かな。
それ以外にも色々あって課金基準を再度改めようと決めました。
過去に課金したものを眺めて「もう戻れないのかな」と少し寂しくなる。かといって買いたくないものは買いたくない。

クオリティーが下がったと思ってるんだけど(これは推しのせいじゃないのでかなり複雑)単にそうじゃなくて興味としてどうなんだ?っていう狭間にいる感じもします。
オタクはいっぱいいても否定的なことをわざわざ書く人はなかなかいないからなー。そうなったらきっと言わずに離れていっちゃうよね。

Twitter見てるともちろん楽しんでる人もいて。それがまた距離を感じる。

オタクとしての範囲を狭めて、なおオタクでいられるのか?


別にコロコロの影響じゃなくて、今だっただけだと思います。元々現場ない。あった予定はなくなってるかもしれないけどわからないので。

このままゆるゆると離れていってしまうかもしれない。
誰かを降りるかもと思った時、そこから戻れたことがないから、戻ったらどうなるんだろう?という興味もあります。だからって戻れるものじゃないけどね。


モチベの高い人もいるから、オタクとしての活力は特に変化なし。
楽しいものは放り込まれるし、早くSNS更新されないかなって思える人もいる。


どうなるかわからないけど、わからないほど記録しておいた方があの時どうだったかな?っていう振り返りが出来ると思ってます。
書いておかないとそれが"いつ"か、具体的にどうだったのか曖昧になってしまう。

会報読まなくなったのは大きい。これはマズいな。別にマズくはないけどマズい。

推しがたくさんいた方が楽しい派だから推せるものなら推していたい。
でもそうはいかない。