私は基本的に推しから認知を受けることを恐れるタイプのオタクでした。
大手のオタク歴が長いからなのかなんなのか、リアクションはしたいけど万単位のオタクの中に埋もれているのがとても楽だったのです。
ただ今の最推しからはSNSや配信越しとはいえ認知を頂いてます。
マウントではなく推しは認知や話の記憶が結構しっかりしているから。リプやコメントへの反応もそれなりに頂けます。オタクそんなにいないし(言うな)。
それでも推しは存在そのものがありがたみ、リプ返貰えるのはさらなるありがたみ、手紙を読んでもらえるなんてもう推しが素敵すぎるじゃん???精神でやってまいりました。
それでも私の中に湧いてきたのです。
「推しに構われたい」
という欲が。
この推し、どちらかと言うとリアクションは薄い方のため、リプ返はたまに、配信での返答もテンション低め。
普段はそれもいいところなのに、その時はどうしても構われたい衝動に駆られました。
配信しない時期にかぶったのもあり、またそう思ってしまう自分に嫌気もさし。謎に病み散らかしていました。
かといってSNS上で言うわけにも行かず、何かの答えを求めて検索窓に「推し 構われたい」などのワードを打ち込んだりしてるときに末吉9太郎さんの動画と出会いました。
『推しへのモチベがなくなるがちょっとしたことでモチベが大復活して大好きになるオタク』 pic.twitter.com/4lqBTIIQwL
— 末吉9太郎(CUBERS) (@9taro_cubers) September 12, 2019
今思うと全然その時の心境とはリンクしてない(笑)推しに非はなかった。
ただ推しからのリプ返て何のことなくても沸く。めちゃくちゃ沸く。
『推しからリプ返がきたオタク』 pic.twitter.com/Xo6kePRzAL
— 末吉9太郎(CUBERS) (@9taro_cubers) November 12, 2019
これくらい沸くしこれくらいのことを考える。
マジで推しの心を一瞬でも自分が通ったのって何度起きてもこんな感じ(笑)いとおしい。
面白いなーと思いながらTwitterをさかのぼり、気づけばYoutubeの動画を見始めていました。
9太郎さんはアイドルオタクのアイドルです。
私がアイドルオタクなのかは微妙ですが、オタクはオタクなので共感ポイントもとても多い。オタクへの質問をお題に話してることも多いので内容は多岐にわたります。
そしてこちら。
オタクの厄介話だけでこれ以外にも2本ある(笑)
厄介な気持ちや行動の形はそれぞれですが、これだけあるようにオタクってどこか厄介なのかもしれないなって。
「厄介になっちゃうのは仕方ないんで!」とか「オタクは厄介な気持ちは持ってると思う」とか、沸いた話、泣いた話と色々聞いてるうちに(何がキーだったとかではないから話がぼんやりしてきた)「厄介な気持ちがあってもいいかな!」と思うようになってきました。
もちろん誰かに迷惑をかけるのはダメですが、推しに知られなきゃよくない?
構って欲しいという気持ちがあっても、それを表に出さないように。他のオタクにもわからないように。
推しは存在そのものがありがたみであることは念頭に置いて、どうしても構って欲しいときは構ってもらえるようにさり気なくリプやコメントを工夫して押し付けないように最大限に気を遣いつつ己の手で何とかしよう。
あとあのね、推し多分手紙全部読んでるから。直接反応を得られないだけでそれはもう推しに構われてる時間だから。そう思い込むべし。
という感じで、その時抱えていた構われたい厄介なオタク心は落ち着かせることができました。
とりあえず推しがYoutubeでハートマークをつけたときの通知を貰うことでリアクションを感じ取る機会を増やした(とてもいい)。
ちなみに今はそこまでの構われたい精神はありません。
また湧き出る可能性ももちろんあるので、そうなりすぎないように楽しく好きでいたいなと思うのでした。